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2023年8月19日

フィールドワークレポート①

(担当:小沼智佳)

【~なにわ橋】
私たちは出発点の天神橋まで、中之島駅から地下鉄で向かった。その道中で、手旗信号で送るカタカナ1文字を選ぶように言われた。お題は「今年を表す1文字」だという。年末恒例のあのイベントのようだ。そのとき考えたのは「カタカナは表意文字でない以上、選べるものは限定されるだろう」ということ。例えばホ=帆・穂、ヤ=矢など、あとは鼬のイ、中之島のナも考えられた。しかし、手旗信号というのは面白い。最大3挙動を組み合わせてカタカナを視覚的に表そうという試みである。腕を大きく使うというのは舞踊的に思えたし、その身体性は1つの特徴だろう。この魅力に抗えなかった結果、3挙動という意地悪な試みを選択した。選んだカタカナは「ネ」である。ネ=根、根を張り多くを吸収する、という意味合いを込めて。挙動も縦に横に賑やかだった。しかしまあ、3挙動は伝わらないだろう……最後のT字の形だけが残るのではないだろうか、というのはこの時点で予想されたことである。


【なにわ橋~天神橋】
降車駅は「なにわ橋」、私は大阪の地理に明るくないため、どこに行くにも知らない場所である。大阪は八百八橋というが、その橋というのはどれも瀟洒でモダンな造りをしているらしい。中之島に来るまで、大阪というのは雑多なサイネージと人情の街というイメージを持っていたが、実のところそれだけではなかったようだ。高層ビルのオフィス街を背景にモダンな橋が架かり、上空には高速道路が伸びている。河の色は豊かな緑色で、夏の陽になんだかよく似合っていた。大阪の解離したイメージは、まだ私の中で落とし込めていない。なにわ橋から天神橋にかけて川沿いに進む。前に「大阪は河に囲まれている」と教わった、生活に川辺が密接しておりヴェネチアのようなイメージだ。今ではないそうだが「家
船」という自家用車に当たる船が各家に着けてあったそうだ、これもヴェネチアのイメージに重なる。潮の代わりにメタンガスの生活臭がしてくる、なにわ言葉の舟歌(雰囲気に合わせるならバルカロールだろうか)が聞こえてくる、そんな空想が広がる。天神橋への道中で、ダンスの練習をしている大学生くらいの集団と寝転がる浮浪者数人と会った。辺りは綺麗に整備され、バラ園も設けられていた。きっと、気温がもう少し低ければ散歩や観光する人もいるのだろう。なんだか人の層が特定できず不安定な場所だ。水辺に人は集まるというから、これが河の特性なのだろうか。


【天神橋】
 いざ橋に着いてみると見通しは大変に悪い。急遽バラ園に架かる橋に中継地点が増えたが、天神橋からその人を見つけることすら困難だ。まして、動きを認識するには双眼鏡が要るだろう。LINEの文面に依れば向こうからこちらは見えているらしい。しかし、私からは一向に見つからない。ゴーサインに合わせて手旗信号を送る、相手は見えない、どこにいるのかも判然としない。私が把握できているものを「現在」とするならば、後に私が把握するだろう「未来」に情報を送っているのだろう。


【天神橋~】
 天神橋で信号を渡し終えた私たちは、バラ園の橋の人員を回収に向った。バラ園の橋では、その近くの石垣の上で繰り返し信号を送っていた。聞くと、そこから天神橋の方は欄干で隠れて信号が見えづらかったそうだ。手に旗があるだけでもっと見やすくだろうとのこと。
 合流後、しばし地下道で日差しを避けながらLINEのやりとりを見守っていた。どうやら「そもそも人を視認できない」ので一向に信号が伝わらないらしい。まず人が見つけられない、次に反射や欄干、距離などの障害から動きが分からない。「結局LINEを一番使っているっていうね」という言葉もでてきて面白い。そして早々に興味深い現象が起こる。「
見えないです」から「そっち向かいますね」とのこと。最早、飛脚である。この企画は手旗信号、LINE、飛脚を併用するという手段MIXの伝言ゲームと化してしまった。 このあたりから、私たちは順々に橋を追っていき恐らくゴールまでいくだろう、と方針がふんわり固まった。惜しみなく陽が注がれる中、歩いて行く。ふと思い出したのは「いかに情報を未来へ伝えるか」という旨の講義で、「物で伝えるか」「人で伝えるか」という話題である。石碑・金などの物質は強度が高く、風化しづらい。しかし、物だけ残っても、それを認識できる人が居なければ用をなさない。その点「人で伝える」方が保存強度が高いと言えるかもしれない、というオチである。確かに。能動的・流動的に変化して行動できる点、人から人に伝承していける点が強みだ。案外マンパワーとは鼻で笑い飛ばせるものではない(というのは最近学んだことだが)。橋に人員を配置したものの、彼らが徐々に歩き出す、というのも自然な流れなのだろう。 道すがら、いくつか面白いものがあった。まず中央公会堂、レンガ造りで東京駅のような配色だ。市役所といい銀行といい、中之島を船とするならばかなりの重量が想定される。帆船という軽やかな響きには無理があるだろう。戦艦という説がかえって有力である。次に水晶橋、これで「すいしょうばし」と読むらしい。字面を見たときに「綺麗だなあ」と思ったから、どうせ読みは違うのだろうと期待していなかったが、本当に水晶橋と呼ぶらしい。


【大江橋~】
 序盤の進みがあんまり悪かったので心配だったが、渡辺橋までは二ヶ所ポイント(水晶橋・中之島ガーデンブリッジ)を追加したためか割と上手くいった。川が直線だったこと、間隔がほぼ一定で狭かったことが勝因だろう。 玉江橋~堂島大橋はカーブに差し掛かっており、川の見通しが悪かった。そのうえ距離が長く、互いを視認するのは無理だろうという感じだった。私たちはこの区間を二手に分かれて川の両岸を移動した。これで気づいたのだが、川幅が思ったよりもあり対岸の人物の動きですらやっと視認できる程度だった。川幅程度の距離でこれなら、橋間を目視するのはまず無理だろう。距離感がバグっていたようだ。


【船津橋】
 島の突端にたどり着いた。その頃には陽が傾いていてスタートから1時間程度経過していた。ここで1つ面白いのは、私たちが歩いてくる速度と手旗信号が端から端まで到達する速度がほぼ同じだったことである。マラソンのように「人が走って伝えた方が楽だっただろうに」と捉えることができる一方で「手旗信号の速度が体感よりも意外と早い」というのも率直な感想だ。大人数で情報を伝達するということは、接続箇所が多い分1人よりも伝わりづらい・不正確になりやすいのは当たり前だ。しかし、そこが伝達ゲームの醍醐味となる訳で、それ自体が意味を持たない「符号的な情報」に人の血が通った感覚があった。


【答え合わせ】
 最後に、終着地点の信号受信者と出発点の信号発信者(私)が合わせて手旗信号のポーズをとり、答え合わせを行った。今更だが、腕でさっくり空気を攪拌する感覚が心地よかった覚えがある。この答え合わせは動画に収められているのだが、まるで噛み合わないポーズがなんだかコミカルだ。回答は「フ」。T字の形が残るか、これに角度がついて「イ」の字になるかと思っていた。まさかの「フ」に、意地悪な答えを設定しておいてなんだが笑ってしまった。後日、回答と正解を繋げると「フ」「ネ」で船となることが判明した。勿論こじつけだが、よくできた話のようにも感じる。山・川ではないが、質問に対して単純に回答するのではなく付け足されることで完成される、という形態も面白いと思った。

フィールドワークレポート②

(担当:伊藤尚)

手旗信号を体験する。
堂島米市場 (江戸時代)での相場を各地に伝える手段は「狼煙」であった。
土佐堀川に架かる橋を使い手旗信号で文字の伝達を試みる。
天神橋から西へ向かい船津橋までの12の橋で、受講生が手旗信号で一文字を伝達した。 
結果 「ネ」  ⇒ 「フ」 と間違った。 たった一文字なのに、情けない。
炎天下、汗だくになり苦戦。
スマホという近代的な武器を持ち、文字が読める…読めない….遠すぎて読めない
今どこまで進んだ…..等々まことにスピーディーとは縁遠くもたついた。
個人的には、「しまった望遠鏡持ってくればよかった。」(これも近代的な武器であった) 
便利さに慣れた我々は滑稽に見えた。昔の人の凄さを実感する実験でもあった。

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